715系



 1960年代の高度経済成長期、好景気を背景に国鉄は特急・急行列車の大掛かりな増発を進めました。その結果、車両増備に伴なう留置スペースの不足という事態が生じてしまったそうで、それが昼行・夜行兼用電車の開発につながったそうです。そして昭和42年に581系寝台電車が登場しました。(翌年からの増備車は583系と呼ばれます。)北は青森から南は鹿児島まで広い範囲で運用され、当然ながら直流区間と交流区間の両方に対応できるスグレモノでした。

 583(ゴッパーサン)系寝台電車

 さて時代は巡って昭和50年代の後半のことです。この頃になりますと「短編成化、等時間隔、頻繁運転」という電車型ダイヤが好まれるようになります。加えて新幹線の延伸により特急の需要が減ってしまい、数多くの581系・583系余剰車が生じました。しかし、財政がキビシイ国鉄に新造車増備の体力はなく、余剰車の改造でニーズを賄(まかな)おうとします。これが九州における715系の登場につながるのですね。

 

 九州では4両編成とするため先頭車が不足することとなり、中間車の先頭車化工事が進められました。それにしてもまあ、インパクトの強い顔の先頭車が登場したもんですよね。このタイプの顔はその昔、国鉄両毛線でみたクハ77に似ていますので僕はあまり違和感を覚えませんでしたが、中間車を改造して運転台をくっつけたこの電車は「食パン電車」と呼ばれて親しまれた(?)ということです。

 

 車両の塗装も寝台電車時代とは大きく異なり、黄色味がかったクリーム色に緑色の直線帯を巻いたものに変化しました。昼行専用の近郊電車ですので寝台設備は封印され、ドア増設、車端部にロングシートを配置するといった工事が施されました。僕がこの塗装時代の715系を初めてみたのは日豊本線南小倉駅の跨線橋からでした。えらい高速で大分方へ下って行きましたねえ。

 

 昭和61年から数年かけて、寝台電車の名残である車体側面上部の明り取り用の小窓が埋め込まれ、塗装も見慣れた白地に青い帯の「九州色」に変更されています。

 

 もともとは昼夜を問わず走り続けた寝台電車ですので、改造したとはいえ車体、機器ともに相当くたびれていたはずですよね。メンテナンスは大変じゃなかったかな、と想像します。長崎・佐世保地区の運用がメインでしたので、北九州・大分に住んでいた僕には縁がない電車でした。実車に一度も乗車しなかったことがとても残念です。平成10年にラストランを迎えた後、しばらくの間、門司駅の端の留置線に数編成置かれていたのを見たのが最後でした。

 

 実車はすでに過去帳入りしていますが、九州鉄道記念館に1両だけ特急顔の先頭車が静態保存されておりまして715系の名残を感じることができます。といいますよりも静態保存に向けてクハ715-1が種車のクハネ581-8に似せるように工事を受けている感じですね。外観は寝台電車そのものですが、内部は思いっきり715系を感じることができるという、1粒で2度おいしい的な楽しみ方ができます。ともあれ、我が社の715系電車は疲れも見せずに日々、通勤通学の足として活躍しております。

 








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