783系 ハイパーサルーン



 時は今から遡ること国鉄時代の1986年(昭和61年)、415系1500番台を日豊本線行橋駅で初めて見たとき、そのステンレスの車体に洗練された都会らしさを感じて驚いたものですが、翌々年の1988年、783系特急型電車が登場したときには「これは私鉄の電車かっ」と声がもれるほどビックリしました。それまで九州内で幹線を走る特急といえば485系でしたが、先頭車のフォルム、ステンレスの車体、中央に設けられた乗車扉、車体側面に真っすぐ伸びた赤帯、そのどれもが斬新で「ああ、もはや国鉄ではないんだな」との思いを強くしたものでした。

 調べてみますと、783系は国鉄時代末期に開発が進められていたのですね。JR九州となり783系は華々しくデビュー、ハイパーサルーンという愛称で当初は「有明」と「かもめ」で運用されました。当時の僕は大分県の大学に通う学生で、実家は行橋にあり、早くハイパーサルーンが日豊本線を走らないかなあ、と思っておりました。

  

 車体中央に乗降扉が設けられたのは、客室を2分することにより喫煙車・禁煙車、指定席・自由席を柔軟に設定する意図があったようです。もともとは9連・7連での運用でしたが、やがて485系と同様に3連で運転される列車もあって当初から短編成化をにらんでのことでしょうか。

 1988年、話題となった783系の運用がありました。一部の有明が当時非電化の豊肥本線(熊本駅〜水前寺駅)を走るというものでした。783系は熊本駅でパンタグラフを下ろし、先頭にDE10形ディーゼル機関車、次位に車掌車ならぬ電源車としてヨ8000形(28000番台)を連結しました。水前寺駅から熊本駅に戻る際には電車が先頭の推進運転となります。ハイパーサルーン色に塗られた機関車と電源車は何ともユニークでした。

  

 そして1990年。ようやく待ちに待った783系が日豊本線でデビューする日がやってきました。その名も「ハイパーにちりん」です。1994年の時刻表がありますが、基本的にハイパーにちりんは今でいうところの速達タイプの特急だったようです。6連と4連で運転されていました。

  

 当時貧乏学生だった僕もこの時ばかりは贅沢をして、大分駅から行橋駅まで783系ハイパーにちりんに乗車しました。今もなおあの時の印象は忘れられません。普通車自由席ではありましたが、客室窓は大きく、フットレストがついていて気のせいか座席の座り心地も485系よりよいような...。(気のせいだろうか?)途中、ハイパーレディ(かな?)による車内販売もありました。

 90年代、JR九州はさらに787系という素晴らしい特急電車を生み出しました。必然的に783系は787系との格差を是正する必要に迫られ、1994年頃よりリニューアル改造を施されるようになります。まずは先頭車まるまるグリーン車(クロ)の半室普通車(クロハ)化。さらに6連と5連とに組成変更されます。大きな変化は2000年から見られ、かもめ用編成が「みどり」と「ハウステンボス」に充当され、中間車の先頭車改造が行われました。併せて塗装の変更が施されます。このリニューアルによって後年見慣れた塗装が勢ぞろいします。

 また、CM35編成の先頭車クロハ782−407は「みどり」編成増強の目的で2006年、早岐方の先頭車を非貫通型から貫通型に改造したもので異彩を放っています。先頭部は「みどり」編成に準じた塗色でしたが、他はリニューアル色そのままになっています。

 個人的にはこれまで「ハイパーにちりん」「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」乗車時にお世話になりましたが、残念なことに実車には廃車が発生しています。今後数を減らしていく彼らの活躍を最後の日まで見届けていきたいと思います。








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