キハ40系



 国鉄は昭和50年前後に2種の新型気動車を製造しました。ひとつは新幹線博多延伸開業に伴う博多周辺地区の輸送改善を目的にしたキハ66形・67形、もうひとつは寒冷地、温暖地用にそれぞれ作り分けられたキハ40系です。当初、ここ九州に配属されたキハ40系は、両運転台を持つキハ40形2000番台、片運転台と車体中央寄りに2か所の両開き扉を持つキハ47形(トイレ付き0番台、トイレなし1000番台)でした。

 このキハ40系、登場からしばらくは首都圏色(別名:タラコ色)と呼ばれる単色の塗色でしたが、他の地域で活躍する仲間たちと同様に、やがて九州独特の塗装を施されるようになります。小倉工場試験塗装がその先駆けではなかったかと記憶しますが、その後は見慣れた九州色に塗り替えられます。思えば九州のキハ40系、一時的にラッピングが施された車両を除けば、意外と塗装のバリエーションは少なかったように感じます。

 小倉工場試験塗装

 お馴染みの九州色

 九州南部の日南色

 アクアライナー色

 それにしてもこのヨンマル君たち、開発・製造の目的通りに従来の気動車(キハ52、キハ58系)を次々に置き換えていきました。(そうそう、後輩のキハ31のほうが先に姿を消したのですよね。)全盛期には九州内の非電化区間には必ずといってよいほどその姿を見かけたものです。僕は久大本線、日田彦山線、香椎線でお世話になりました。特に久大本線でのお付き合いは長かったなあ。数年間、平日は通勤で毎日ヨンマル系を利用していました。

  

  

  

 知り合いで現役の運転士さんに伺ったところ、最新の気動車に比べるとこのキハ40系の操作は格段に難しいとのことでした。国鉄車の操作には経験と技術がキラリと光るのですね。スマートなデジタル車が主流の現在、その武骨な感じがとてもカッコいいなと思います。しかも丈夫で長持ちする設計だったのでしょうね、近年は観光特急に改造されるものもあり、しばらくは活躍が期待できそうです。

  

 その後、エンジンの換装や車体の改造などによって細かく番台区分がなされましたが、外見的には(塗装も含めて)大きく姿を変えず、いつ見てもずっとキハ40系のままでした。外観の一番の変化は車体の屋根でしょうか。個人的にはのっぺらぼうの屋根よりもベンチレーターが規則正しく載っているほうが好きですけどねえ。さて、実車は経年変化により一般車については定期運用からの撤退が続いているようです。活躍の場を狭めつつあるヨンマル系ですが、いずれ時間をとってゆっくりと乗車を楽しんでみたいもんです。

 

  







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