旧型客車の改造車2題

「列車の改造」と聞きますと、内外装のグレードアップや車両の延命を目的としたもの、あるいは(余剰車の)用途変更に伴うものなどを連想します。特に旧型客車(現役当時は「旧型」とは呼ばれてはいませんが...)余剰車の改造は珍車が多く、とても興味深いものがあります。調べてみますと現在と同様、国鉄時代からすでに頻繁な列車改造が行われていたことがわかりました。今回は「1度見たら忘れられない」旧型客車からの改造車を2両、Nゲージの鉄道模型で紹介します。

 キハ08 1

 

 時は1960年(昭和35年)。全国各地で気動車需要の高まる中、不足する旅客動力車を補う目的で60系客車から改造された列車がキハ40形(初代)でした。通常であれば機関車に牽引される客車の前後に運転台を取り付け、床下にディーゼル動力機器を備えたその姿は、前面の表情と併せて非常に個性的です。車体側面に客車時代の面影を濃く残し、「いかにも」な改造車両です。キハ08 1はオハ62 2からの改造車です。

 

 資料をみますと国鉄当時、両運転台を持つキハ40形が単行で運用されることは非常に少なかったようで、他系列の気動車との併結が行われていたようです。見た目に反して乗り心地は快適だったらしく、一般乗客からは評判が良かったとのことでした。へえ〜。

 

 1966年(昭和41年)からキハ08系と名称が変わりますが、結局のところ増備は行われず、キハ08のグループは3両にとどまり、新たな気動車を新製するまでの試作車的存在であったようです。

 
 

 その後、1971年(昭和47年)には運用を離脱することとなり国鉄での運用が終了します。仲間のキハ08 3(だったかな?)は加悦(かや)鉄道に譲渡されてその後も活躍しましたが、キハ08 3と比べてキハ08 1は前面の窓が小ぶり(小窓)になっていて、その特徴となっています。しばらくは苗穂工場の構内に留置されていたようですね。

 
 

 オヤ31 13

 

 オヤ31は事業用客車の一種で、建築限界測定用試験車と呼ばれています。乗客の輸送には用いられません。さて、鉄道において建築限界とは何か。調べてみますと「鉄道車両の安全な走行のため、線路に隣接する建物・信号機・電柱などの構造物は一定の範囲を越えて造ってはならないという限界」を意味するのだそうです。なるほど〜。

 オヤ31は車体の周りにトゲみたいな柱が何本もついておりまして、ゆっくり走行しながらこの柱に障害物が触れないかどうかチェックするのですね。ゆっくりと走るその姿が頭にかんざしをたくさん差した花魁(おいらん)の姿に似ていることから「おいらん車」というあだ名がつきました。

 

 オヤ31は7両製造され、全国に配置されました。種車や工場が必ずしも同一ではないのでそれぞれの車両に若干の差異が見られていて、趣味的には観察が楽しい車種でもありました。実車のオヤ31 13はスハ32 451から改造され、1961年(昭和36年)に誕生しました。民営化後はJR東日本所属となり、2010年に廃車となっています。ほお、比較的最近まで残っていたのですね。

 

 

 ここからは模型の話からそれます。ここ九州にもオヤ31は配置されていました。オヤ31 21です。1954年(昭和29年)に小倉工場にて落成し、2005年(平成17年)に廃車となりました。実を言いますと、僕は一度だけ直接オヤ31に会ってその車体に触れています。もちろん、ヤバイことをしたわけではありません。1998年(平成10年)に開催された小倉工場まつりにおいてです。親子連れの歓声でにぎわう会場の片隅に誰も寄りつかないエリアがあって、そこには何やらボロい車体が...。それがED73 1016とオヤ31なのでした。会場はたくさんの人であふれていたのに、本当にこの場所には僕一人しかいませんでした。

 

 オヤ31の車体は相当に痛んでいて、塗装も簡単に剥げ落ちそうな感じでした。経年劣化した車体の裾の板は無残にも損傷していて穴ができ、かえってそれが幸いして顔を突っ込み中を覗き見ることができました。がらんとした車内は薄暗く、湿っぽく、ひんやりとしていて正直不気味でしたねえ。今となっては懐かしい思い出です。




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