181系特急 しおじ

 新幹線の開業は地域の観光業・産業発展にとっては非常に喜ばしいことなのですが、その陰で在来線は確実に廃れていきます。山陽新幹線の博多延伸工事が終了して昭和50年3月改正で開業した時、華やかなイベントの裏で隆盛を誇った山陽昼行特急は急激にその数を減らし、やがて消滅していきました。

 1号車 クロハ181

 昔の時刻表を見てみますと、山陽路を行く特急・急行の数の多さに驚かされます。その中で最長新大阪〜下関を結ぶ「特急しおじ」は晩年、181系、485系、583系で運用されていた山陽路の花形特急だったのですね。151系の出力増強形式181系をディスプレイし、在りし日の「特急しおじ」晩年を姿を再現してみました。

 資料を調べてみますと、晩年のしおじは181系の11両編成で運転されていました。下関側から1号車〜11号車の順で1号車から4号車まではグリーン車+座席指定車、5号車の食堂車をはさんで6号車からは指定席あるいは自由席となります。時期によっては全車指定席だったようですね。11両編成は模型であっても堂々としていて見栄えがします。

 堂々の11両編成

 それにしても国鉄色ボンネット型電車ってどうしてこんなにもカッコいいのでしょうか。国鉄時代に鉄道ファンとなった貧乏少年にとって特急列車はまさに高嶺の花。オヤジとなった今もなお胸がトキめくのは、そういった幼少期の憧れの気持ちが含まれているのかもしれません。

 181系に限ったことではありませんが、瀬戸内海を眺めながらの食事ってどんな感じだったのでしょうか。食堂車をディスプレイしながらそんなことを想像していました。

 5号車 食堂車

 この令和の時代、山陽路を走る在来線のリバイバル特急はもう望めないのでしょうね。模型を眺めつつおやつをほおばり、一度でいいから乗車してみたかったなあ、としみじみ思ったのでありました。

 

 

 ところで、「しおじ」を漢字で書くと「潮路」になるでしょうか。それにしてもこのネーミングセンスは秀逸ですね。山陽特急の名称の中ではピカイチではないかと感じています。





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