クハ415-1901

 令和5年現在、ここ九州に残る415系はステンレスの1500番台のみです。しかも、それらも登場から結構な年月を経ていますので、今や絶滅危惧種といってもいい状況にあるような気がしています。そんな415系ですが、少し時間を巻き戻してみますと、関東と九州には実にさまざまな415系が活躍しておりました。

 関東圏で活躍した415系の中でひときわ異彩を放ったのは、たった1両のみの存在だった2階建て構造の先頭車、クハ415-1901ではないでしょうか。僕のような生粋の九州人には想像もつきませんが、関東首都圏の通勤ラッシュは今も昔もかなり凄まじいようで、15両という長大編成でもなかなか混雑の緩和ができていないようです。1991年(平成3年)、JR東日本は輸送力増強に対応できる車両の開発を目指して1両だけの試作車、クハ415-1901を製造しました。415系には鋼製車・ステンレス車、セミクロスシート車・ロングシート車がありますが、先頭車と中間車の双方に共通する特徴は両開きの3ドアということです。しかし、クハ415-1901では客室扉を2ドア化・ダブルデッカー構造としたため、トイレのないクハ411(1500番台)の定員が142名に対して156名と増員が実現しました。この度、調べてみてわかったのですが、ダブルデッカーの1階部分と車端が2+2配列のクロスシートで、2階部分は2+3配列のクロスシートだったのですね。3人掛けの真ん中の乗客はさぞ窮屈だったでしょうねえ。

 落成後のクハ415-1901は編成番号K880を名乗り、8両固定編成で運用に入りました。(この編成は415系の歴史の中では最終製造ロットだったようです。)さて、果たしてこの車両は混雑緩和に大いに貢献したか、と問われますと、どうやら当初の目論見通りにはいかなかったようです。何より2ドアがいけませんでした。他にも狭い通路や階段のせいでラッシュ時には乗客の乗降に時間がかかることが判明、通勤列車として量産化には至らない結果に終わりました。また8両の固定編成ということも柔軟な運用の妨げになっていたように思います。K880編成は乗降時間を考慮し、停車駅が少ない通勤快速の運用に充当したり、あえて通勤ラッシュのピーク時間を外して運行していたようです。まあ車体番号に「9」のつく試作車ですから仕方ないとはいえ、鉄道趣味のない一般乗客からすれば迷惑な車両だったかもしれません。先日、動画サイトでK880編成が白電7両と組み、堂々の15両編成で上野口に入線している当時の姿を観ました。15号車として編成の下り方先頭を走るクハ415-1901ですが、僕の目にはとても勇ましく映りました。

 さて、その後のK880編成です。2004年(平成16年)頃からモハユニットやサハの組みかえがあり、ステンレスと白電の混成になりました。大きな転機は2005年(平成17年)に訪れます。クハ415-1901はK921編成に組み込まれ、残念なことに翌年には廃車となってしまいました。2階建て通勤車両は量産に至りませんでしたが、その構造自体は215系に引き継がれたそうです。結果、試作車としての役割りはしっかり果たすことができた、ということになるのでしょうね。

 そうそう、K880編成を語る際に「サハ411-1601」について言及しないわけにはいきません。ステンレス415系の付随車であるサハ411は1701と1601の2両しかない、これまた希少車なのでありました。クハ415-1901の落成時からK880として編成を組んだサハ411-1601ですが、MG・CPを搭載している関係上、床下はサハ211みたいにすっきりとはしておらず、モハかと思うくらい機器類でにぎやかです。クハ415-1901と別れて白電7両編成の中間に組み込まれた時期もありましたが、やがて盟友クハ415の後を追うように運用を離脱し、ほどなく解体となっています。





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