クハ115-652

 折からのステイホーム。僕の場合、休日は趣味に没頭できる時間が大幅に増えまして、プライベートはとても充実したものになっています。目下、所有する鉄道模型(Nゲージ、HOゲージ)の手入れと並行して、名無しのケースへ、そこに収まっている車種を記したシールを貼る作業も行っています。趣味の部屋の一番奥にある収納スペースから、古びたKATO製車両ケースを取り出しまして中身を確認しますと、出てきたのはJRマークのない、国鉄仕様115系電車の4両セットでした。

 手入れのために車両をケースから取り出して、いったん線路の上に載せてみます。4両の車番はクハ115-199、モハ114-2002、モハ115-2002、クハ115-652で、車体標記が「広ヒロ」となっています。このセットはメーカーの完成品ではありません。記憶を辿ってみますと、20年ほど前に某オークションサイトで落札した品だったことを思い出しました。

 中間電動車のモハユニットは2両とも2000番台です。2000番台は300番台のシートピッチ拡大版ですよね。側面行先表示が「小郡」となっていて時代を感じさせます。とてもシブいですね。車体は非常にきれいで特に問題なさそうです。ちゃんと動きましたし。難をいえば、走行時のモーター音が少々うるさい程度でしょうか。

 この編成で僕の目を引いたのはクハ115-652でした。何よりも外観上、急行型電車を思わせる屋根上のクーラーが個性的ですね。

クハ115-652

クハ115-199

 両端のクハを並べてみますと、その違いがよりハッキリわかります。2両ともクロスシート部窓の4つの隅が丸くなっているところに初期車を感じます。

 少々気になりましたので、クハ115-652について調べてみました。当車の生まれは1963年(昭和38年)。驚いたことにモハ114-15として製造されていて、当初はパンタグラフを載せていた電動車で、今の高崎線・宇都宮線で活躍していました。1979年(昭和54年)に岡山に移り、まだ国鉄時代だった1984年(昭和59年)、当時積極的に進められていた増発ダイヤのための短編成化を流れを受けて電装を解除し、1000番台に準じた運転台とトイレを設置したそうです。この経歴からも見事な「珍車」であることがわかります。なお、屋根のクーラー(AU13)は153系急行型電車の廃車発生品を再利用しているとのことでした。なるほど、だからトイレ窓が初期車のものとは全然違うわけだ。

 ついでにクハ115-199についても調べてみました。生まれは1967年(昭和42年)で、こちらは生まれた当初から車番は変わっていません。当初は関東で活躍し、1984年(昭和59年)に広島にやって来たようです。2006年(平成18年)に105系の廃車発生品を流用してシールドビーム化される前までは原型の前照灯(大型ライト)でした。

 それと興味があったのは、この4両が実際に編成を組んでいたのかどうかということでした。調べてみますと、1999年に発行された鉄道ピクトリアルの115系特集号にありました。後年、下関に来てC-02編成としてこの4両が一緒だったのでした。

 そうとわかればもう愛しさ倍増です。いずれ近いうちに、湘南色広ヒロ時代のC-02編成を思いきりドレスアップしてあげたいです。いやはや、鉄道模型から実車の歴史を学べる楽しみも味わえるのですね。これもステイホーム中の収穫の一つです。




inserted by FC2 system