415系分オイFo507編成

 415系鋼製車は僕の青春時代を共にしてくれた、いわば相棒みたいな存在です。時が過ぎ、全編成が廃車となった今でも親しみを感じますね。思えば0番台、100番台の記事は当サイトに以前アップしたものの、500番台の紹介はまだできておりませんでした。500番台といえば、ここ九州では鉄道趣味の立場から見れば異端車といえるかもしれません。今回は北部九州で活躍した個人的に馴染み深い「分オイFo507編成」をご紹介いたします。

 九州育ちが大部分を占めた415系鋼製車の中で、500番台は関東(常磐線)で長く活躍した後、九州に渡ってきたという経緯があります。そもそも500番台は国鉄時代に常磐線向けに製造されたグループだったのでした。Fo507編成も同様で、1982年(昭和57年)に製造されて勝田電車区に配置、常磐線・水戸線にて運用されています。また時には15両編成となり、上野駅にも顔を出していました。

 クハ411‐507

 クハ411‐607

 やがてJR東日本所属の415系に淘汰の波が襲いかかります。415系鋼製車が次々廃車となるなか、留置されていた4両編成3編成(鋼製車2編成と1500番台1編成)のJR九州への譲渡が決定。2009年にFo507編成(当時K607編成)は仲間と共に電機に牽かれてはるばる九州へやってきます。当編成は小倉工場に入場し、九州向けに改造・整備を受けることになります。

 2009年3月にこの編成は南福岡に配置され、営業運転を開始します。当初はFm507編成を名乗って北部九州(鹿児島本線、日豊本線、関門連絡)を中心に活躍しました。そして2012年(平成24年)からは常磐線時代の旧友Fm520編成と共に大分に転属し、それぞれFo507編成、Fo520編成と名を変えました。しかし、2016年にFo520編成は鹿児島へ転属となり、Fo507編成は北部九州唯一の500番台となったのでした。

 この分オイFo507編成、僕は何度か大分駅で出会っています。車体の特徴から一見して500番台と判別できました。車体間の転落防止幌、乗降扉の窓回りの鉄枠ガラス押さえですぐに気づきます。

 さて、実車は2021年(令和3年)に運用を離脱し廃車となりました。他の415系鋼製車たちと同様に昭和・平成・令和を駆け抜けた電車でした。今や415系分オイ車に鋼製車はなくなりましたが、1500番台のステンレス車はまだまだ健在です。彼らのラストランの日まで応援していきたいと思っています。

 



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