懐かしの475系急行ゆのか

 昭和50年、群馬県から生まれ故郷の北九州に帰った当時10歳の僕は鉄道が大好きな少年でした。通った小学校の校庭に日豊本線が沿っていて、昼休みになればよく塀にもたれかかって通過する列車たちを眺めていたものです。急行電車に乗車した記憶は今もなお鮮明で、「ゆのか」「日南」共にお世話になりました。快速電車、急行、特急が通過する南小倉駅沿線に住んでいて、通過駅がある急行は子ども心にとてもカッコよくて、ボックスシートの窓を開けて顔に風を受けつつ、通り過ぎる景色を楽しんでいました。 

  地平ホーム時代の行橋駅にて

 さて、この度TOMIXからNゲージ455・457系電車がリニューアルされて発売となりました。前評判も良かったので計7両を購入。昭和50年頃の急行ゆのかを再現することにしました。(僕が小学校時代に作った詩には急行電車は7両と書いてあります。当時、ゆのかはビュッフェ車サハシを組み込んではいましたが調べてみたところ、僕が乗車した当時はすでに営業は終了していたことがわかりました。(昭和48年に営業終了))なお、昭和50年3月からは475系全編成が大分に配置されていましたので、所属表記は「分オイ」ですね。

  7両を準備しました

 模型を手にしてみますと、なるほどよく出来た製品ですね。これは手の加え甲斐があります。まずはインレタ類、必要な塗料を準備して作業開始です。ここからは眼精疲労と腰痛との戦いになります。(笑) 実車は7両編成で、大分に向かって1号車クハ自由席、2号車モハ自由席、3号車クモハ指定席、4号車サロ指定席、5号車サハシ自由席、6号車モハ自由席、7号車クモハ自由席となります。かつて僕が乗車したゆのかは大分行きでしたので、側面サポは「大分」を選択しました。ちなみに博多〜大分を結んだゆのかは途中の小倉で方向転換しますので、1号車を先頭にしても7号車を先頭にしても大分行きは成り立つのですね。



 

 

 僕が乗車した当時はすでに名称のヘッドマークは外されていましたが、せっかくですのでヘッドマークをつけて急行ゆのか在りし日をしのびつつ撮影しました。先頭車が誇らしげで颯爽としたスタイルになります。本当にカッコイイ!

 模型ではありますが、じーっと眺めていますと乗車した時のことが自然と思い出されます。小倉からガラすきの自由席車のボックスシートに親戚のおばさんと2人で座り、窓を開けて春の風を浴びながら流れる車窓をただじっと眺めていた僕がたしかに記憶の中にいました。ああ、あの日は遠くになりにけり...。今、急行ゆのかは僕の書斎に飾られています。 





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