寝台特急:彗星号に乗りました!


 平成17年10月のダイヤ改正で南宮崎と京都を結んでいた寝台特急「彗星」が廃止されることになりました。近年、利用客の減少から東京・関西と九州方面を結ぶ夜行列車が次々と姿を消しています。そして平均乗車率30%程度の彗星号もいよいよ終焉を迎えることとなり、日豊本線を走るブルートレインは富士号の一本のみとなってしまいます。仕方ないこととはいえ寂しいもんですね。

 ちょうど東京に行く用事があったこともあり、このたび姿を消す彗星号の思い出を作っておこうと考えて大分から新大阪まで乗車することにしました。せっかくの機会ですので「彗星号」の歴史をちょっとだけ学んでおくことにします。手持ちの資料によると、彗星号の登場は昭和43年10月にまでさかのぼります。当時「動くホテル」と称され、「ブルートレイン」の語源にもなった20系客車が当初新大阪−宮崎間を結んでいたようです。所要時間は約15時間。運転区間が宮崎から都城まで延長された期間もあり、驚くべきことに往時には5往復も運転されていました。25 系客車、14系客車はもとより583系寝台電車が使用されていた時期もあり、そのころが彗星号の全盛期だったのでしょうね。

 平成12年の3月改正で彗星号は門司から「あかつき」と併結となり、現在の運転形態になりました。時刻表では南宮崎〜門司間は6両編成での運転となっていますが、3号車と4号車は欠車になることが多く、通常は4両編成で日豊本線を走ります。B寝台個室の2号車のおかげで幾分華やかさはありますが、今ではすっかり寂れてしまった感は否めません。

 平成17年9月16日、いよいよ彗星号に乗車します。大分駅5番ホームでは、彗星号の廃止を惜しむ数多くの鉄道ファンがカメラを手にして列車の到着を待っていました。女性のファンが多いのは意外でしたねえ。やがてED76に牽かれた4両編成のブルートレインがホームに入線してきます。

 この日はヘッドマークをつけて誇らし気な顔つきの電気機関車が見れました。大分駅では牽引機関車を交代させるため、10分弱程度の停車時間があります。ED76からED76(兄弟ですね。)にバトンタッチしますが、機関車が離れると客車の顔が見えました。ここで「彗星」のマークを記念写真にパチリとおさめます。さっそく指定された6号車に乗り込みますが、3号車と4号車がないために6両編成ではなく、4両編成の先頭客車(機関車の次位)になります。機関車のつけ替えが終わると定刻に彗星号は大分駅を出発しました。 

  

 今回は開放型(2段式)B寝台をあらかじめ予約しました。個室を利用してもよかったのですが、幼い頃の思い出があるせいか、僕はこちらの寝台のほうが不思議と落ち着きます。向い合せの寝台はもはや時代遅れかも知れませんが、見ず知らずの方と何気なく交わす挨拶にも旅行記分は盛り上がるものですね。ちなみにこの日はどの車両にも空きベッドがなく満員御礼でした。毎日がこんな風だったら廃止にならずに済んだのかな......。

  

 すでに夕食は済ませていたので、乗車してしばらくは本を読んで過ごしました。ジョイント音をBGMに観光用のガイドブックに目を通します。まさに至福の時。旅って本当にいいもんですねえ。(笑) 気付けば22時30分を過ぎていて車窓も真っ暗だったので、横になって休むことにしました。

  

 門司で「あかつき」号を連結し、関門トンネルを抜けて下関で機関車をつけ替えたはずなんですが、全く記憶にありません。どうやら爆睡していたようであります。気がつくと日付けが変わっていて、まもなく姫路に着くところでした。三ノ宮に到着する前より車内放送も始まり、新しい朝を実感します。チャイムの音楽が耳に優しくていいですねえ。

 歯みがきセットを手に持ちタオルを首からぶら下げて、すれ違う人と挨拶を交わしながら洗面所に向かいます。歯をみがき石鹸で顔を洗って着替えが済んだら下車の準備完了。あとは新大阪に着くのを待つだけです。通勤電車と併走する区間では通路側の座席に座って、電車と客車のデッドヒートを楽しみました。そうこうしているうちに7時25分となり、定刻に彗星・あかつき号は新大阪駅に到着。ただ寝ていただけの乗車ではありましたが、それでも夜行列車の旅の醍醐味は味わえたような気がします。ホームから去り行く列車を見送りつつ、このような旅情が今後も楽しめることを切に願った次第でありました。( お わ り )

  


  

inserted by FC2 system