さようなら 高タカ115系

『しづかに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。』これは吉田兼好の徒然草第29段の冒頭です。「心静かに回想してみると、遠く過ぎ去った日々への恋しさばかりはいかんともしがたいものだ」と僕は解釈しています。年をとったせいでしょうか、最近では幼少時の記憶をとても懐かしく感じ、そして愛しく思うようになりました。まさに徒然草の文章通りなのですね。

 僕の鉄道好きの原風景、それは昭和40年代後半の両毛線にあります。当時は前橋市に住んでいて、前橋〜駒形間の複線区間沿線に自宅がありました。湘南色の115系電車と165系電車、横須賀色の70系電車を日々当たり前のように見て過ごした僕にとって、湘南色と横須賀色は今もなお電車を象徴するカラーなのです。

平成12年3月高崎駅にて この頃は湘南色115系が当たり前にみられました。

 平成30年1月、高崎車両センター(高タカ)115系の運用終了のニュースを知りました。高崎の115系との別れは近い将来やってくる、とこれまで覚悟はしていたものの、いざそれが現実となればやはりショックで、寂しく、辛くて仕方ありませんでした。僕は湘南色の115系を見るだけで幼少時代の家族旅行、学校帰りの両毛線沿線の光景などが鮮明に思い出せるのです。その湘南色をこれから両毛線で見ることができない、それだけでなんだか自分の人生の一部が消え去ってしまうくらいの衝撃を感じてしまいます。そのようなこともあって、ダイヤ改正前に高タカ115系に最後のお別れに行こうと思いたち3月10日、ギリギリのタイミングで群馬へ出かけました。 

  Nゲージ湘南色115系 実車同様に前面種別幕を埋めました。

 事前に115系の運用を調べました。高崎駅を10時24分に出発する水上行きを見送り、同駅を10時44分に出発する大前行きに新前橋まで乗車することにしました。東京から高崎行きの各駅停車の2階建てグリーン車に初めて乗車しましたが、115系は高崎駅到着前に僕を出迎えてくれました。

 当日は臨時快速レトロ碓氷号の運転日であり、高崎駅構内は大勢の鉄道ファンや家族連れなどで大変賑わっておりました。間近で見るC61機関車は迫力満点で、次の機会にはぜひ旧型客車に乗車してみたいです。

 大勢の鉄道ファンが待ちわびる中、水上行き115系が6両編成で6番線にやってきました。もう胸がジンときて、鼻の奥がツンとなりましたが、僕は懸命にカメラのシャッターを押し続けました。

 ホームには僕ら年配のファンに交じって女性やちびっ子カメラマンの姿も多く、ちょっと意外に感じましたね。年代・性別によらない115系人気の根強さを再認識した次第です。まずは水上行きを見送りました。

 そのまま5番ホームで大前行きを待ちます。新前橋までのお別れ乗車です。やがて115系が入線しますが、なぜかドアは開きません。僕はこれまで電車のドアを手で開ける経験がなかったため、これにはちょっと面喰らいました。(苦笑)

 新前橋までの短い乗車ではありましたが、ボックス席に座り、目を閉じて走行音を聞いていますと、子ども時代の家族4人での旅行を思い出します。両親はいつも窓側の進行方向を向く位置に僕を座らせてくれました。まさにその位置で115系の走行音を聞いたわけです。もう、溢れそうになる涙をこらえるのが精一杯でした。

旅のお伴を車内にてディスプレイしました。

 やがて新前橋に到着し115系ともお別れです。ホームを発ち、離れていく姿に手を振って見送りをしました。でも嬉しいことにホーム横の留置線に115系がおりまして、お別れの旅の余韻にひたることができました。

 ついでに両毛線に乗りかえて僕の第二の故郷である前橋に向かいます。スケジュールの都合で駅にはたった12分間だけの滞在でしたが、春の日差し、抜けるような青空、心地よい風に恵まれて、遠くにそびえる赤城山(まさに僕が子どもの頃に見ていた風景)を脳裏に焼きつつ、いっぱい深呼吸をしました。

 最後に高崎駅構内の売店で115系のボールペンを記念に購入してから群馬を後にしました。この旅で115系に直接会い、しっかりお別れをして、寂しい気持ちにひとつの区切りをつけることができたように思います。群馬の115系、本当にありがとう。そして僕はいつまでも君を忘れない。

 追記)その夜、サンライズ出雲で東京を発ち九州へ向かいましたが、翌日の早朝、姫路駅で岡山の湘南色115系が向かいのホームに停まっておりました。大慌てで写真をとりましたが、焦りと興奮で手が震え、ぶれぶれの滅茶苦茶な写真となりました。(爆笑)これも今回の旅の貴重な体験です。

早朝の姫路駅にて。ダメだこりゃ。 平成22年3月 岡山駅にて





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