ブルートレインの電源荷物車


「死語」という言葉を辞典で引きますと、「以前用いられていたが、用いられなくなった言葉」とありました。僕の憧れた寝台列車、ブルートレインは今や存在せず、まさに死語になりつつある言葉ですね。

 先日、ある鉄道雑誌でブルートレイン特集の記事を読んでいたのですが、20系客車に始まるブルートレインの歴史の中で、発電し編成全体に電気を送る電源車の存在に興味を持ちました。ブルートレイン発展の歴史は、実は電源車開発の歴史でもあるんですよね。

 

 その昔、本州から九州に渡るブルートレインが下関駅で機関車付け替えをする際、切り離し・連結作業を見ようとホームに出ますと、電機の次位に「ガー」とうるさい電源車がいました。あの耳障りで苦手だった騒音も今となってはとても懐かしくて、もう一度間近で生の音を聞いてみたいなと思ってしまいます。この度はブルートレインに連結されていた電源荷物車をNゲージの模型で振り返りたいと思います。

20系マニ20形

 昭和33年(1958年)当時、走るホテルと称された初代ブルートレイン20系。その大きな特徴の一つに「オール電化」であったことが挙げられると思います。20系の登場時から編成全体に電気を供給したのがマニ20形でした。集中電源方式の先駆けですね。マニ20形は一般用発電機と冷暖房用発電機の2組を搭載しておりまして、3tの荷物室も備えていました。

20系カニ21形

 昭和34年(1959年)のことです。マニ20形において狭かった荷物室を拡げて5tとしたカニ21形が登場し、主に寝台特急さくら用として運用されました。車体長がやや長くなった以外には、電源供給システムに変更はなされていなかったようです。(画像では「あせかぜ」マークになっています。「さくら」を取り付けたつもりだったんですが...。)

20系カニ22形(パンタグラフ搭載車)

 昭和35年(1960年)、山陽本線は下関までの電化開業が迫っていました。東京〜下関間の直流電化区間は架線からの集電で発電機を作動させ、この区間の軽油節約を目指したものがパンタグラフ付きカニ22形です。動画サイトで走るカニ22形を観ましたが、EF58(ゴハチ)に牽かれて西を目指すあさかぜのカニ22形は機関車の次位に連結され、4基のパンタグラフを連ねて走るその姿はなかなか壮観でした。しかし良いことばかりではなく、発電機を増やしたために車体の重量がかなり重くなってしまい、九州内で走行できない線区ができてしまいました。加えて操作もややこしかったようです。というわけで、昭和43年(1968年)にはパンタグラフを外して普通の電源車となっています。

20系カニ22形(パンタグラフ撤去車)

 前述のように、直流区間のパンタグラフ集電の方針を改めて、パンタグラフを外したうえで通常の電源方式に戻したものです。側面を見ますとパンタグラフの撤去跡が明らかですね。

20系マヤ20形

 20系ブルートレインの全盛期、九州内では20系の分割併合運転が行われていました。集中電源方式は利点が多い反面、こういった分割併合には適さない特性もありました。昭和38年(1963年)、寝台特急みずほを熊本編成と大分編成に分割運転させるため、国鉄は余剰の旧型客車を改造して簡易的な電源車に仕立て上げました。これがマヤ20形です。みずほ同様に分割併合を行う寝台列車のさくら、あかつきにも同形式は用いられています。

24系カニ25形

 昭和48年(1973年)、20系と同じ集中電源方式システムを持つ新型ブルートレイン24系客車が登場します。一部の20系カニ22形は、新造の24系客車の分割併合用に簡易電源車に改造されてカニ25形を名乗っていました。

24系カヤ24形

 カヤ24形は当初はマヤ24形を名乗り、24系の電源車として新造されました。しかし、ほどなくして新聞輸送のために業務室が荷物室に改造され、カヤ24形に改称されました。

24系カニ24形0番台

 カニ24形0番台は昭和49年から昭和51年にかけて、24系客車の電源車として25両が新造されています。荷物室は3tで車体長は18500mm。やや小ぶりな外観です。形態的な特徴としては、初期車(1〜8)にはマイクロスカートがつき、後期車(9〜25)にはこれがなく直線的な外観です。晩年は「富士」「なは」「あけぼの」「トワイライトエクスプレス」などに使用されました。

24系カニ24形100番台

 カニ24形100番台は東京口の新聞輸送に対する需要に応じるため、荷物室を5tとし、昭和52年から昭和55年にかけて計16両が製造されました。車体長が19000mmで0番台と比べてやや延長し、これまでの曲面的な顔から平面顔(切妻化)に改められ、さらには貫通扉が設けられています。晩年は尾久、青森、宮原に配置されておりました。

24系カニ24形500番台

 カニ24形500番台は昭和62年から平成2年にかけて0番台、および100番台を耐寒耐雪構造へ改造したもので、主に寝台特急北斗星に使用されていました。外観の特徴としてはそれまでの白帯が金帯になっています。

24系マニ24形

 平成元年、寝台特急北斗星が増発されることになり、不足する電源車を補うためにマニ50形を電源車改造した車両がマニ24形です。荷物室は1tで、発電機は小型軽量化・低騒音化・低燃費化され、屋根の形状が他車両と比べて低いため、飾り屋根とされています。北斗星や出雲に使用されていました。

24系スハ25形

 厳密には電源荷物車ではないのですが、実にユニークな車両です。トワイライトエクスプレスが運用を開始し、そのためにカニ24形を供出しなければならず、不足した電源車を補うため12系客車オハ12形を改造したものがスハ25形です。カニ22形以来のパンタグラフ搭載の寝台客車となり、もちろん直流電化区間専用です。スハ25形は電源車ではありますが、荷物車ではなくソファやテーブル、サービスカウンターを備えたラウンジカーで、あさかぜ専用として運用されました。

カヤ27形500番台

 平成11年、豪華寝台特急E26形カシオペアがデビューします。カシオペアは12両の固定編成なのですが、電源車カハフE26のみ検査時に外されてカヤ27 501が代わりに編成に入ります。このカヤ27 501はカニ24形500番台、510を種車として改造されました。




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