さようなら! 485系にちりん


「きったねえ電車だな。。。」485系にちりん号が博多と南宮崎(宮崎空港)を結んでいた頃、小倉から乗車したサラリーマン風の男性がつぶやいたこの言葉が今も脳裏に蘇る。僕の周囲からも、赤い特急(もちろん485系のこと)とソニックとで同じ特急料金を払うのがバカバカしい、との批判があった。国鉄時代から終焉の日まで、九州各地のネットワーク構築に多大な貢献をしてきた特急型485系車両であるが、他の国鉄型車両と同様に車両の経年劣化は誰の目にも明らかになり、残念ではあるが営業運転からの撤退は仕方がないところであろう。

 

 大学生時代、僕は北九州と大分との往復に国鉄・JRをよく利用した。当時は貧乏学生だったから、いつもは各駅停車を利用しての往復だったが、時には贅沢をして485系にちりんを利用した。思えばその頃、日豊本線を走る電車特急は485系だけだったな。車内販売のコーヒーを片手にちょっとばかり優越感に浸りながら、車窓を流れる景色を眺めていたことを思い出す。そうだ、大好きだったじいちゃん、ばあちゃんを大分の下宿に連れて行き、一晩共に過ごした帰りに乗車したのも485系にちりんだったな。バイトで得たお金で三人分の運賃を僕が払い、「お前、出世したな」と笑ったじいちゃんの顔が今でも忘れられない。(その翌年、じいちゃんは他界した。ばあちゃんも今はいない。)

 

 最近はソニックばかりを利用するようになっていた。というのも大分(別府)以北の特急は、臨時や一部の列車を除いて883系、885系の運用がメインとなっていたからだ。現在も仕事のため、週一度日豊本線を中津まで北上するが、往復は必ず振り子式特急を利用することになる。そんな生活の中で、485系のことはあまり意識に上らなくなっていた。その矢先、九州の485系引退のニュースが耳に飛び込んできたのである。

 妻の実家は大分県佐伯市にある。里帰りにはいつも自家用車を利用するが、485系廃止のニュースを聞いてからは、機会があるごとに485系にちりんを利用した。もちろん、思い出のつまった電車の惜別乗車である。あえてハイパーサルーンを避けて485系を選んだわけだが、廃止を前提に乗車してみると、陳腐化した車内設備も何だかレトロ調に見え、趣深く感じられるから不思議だ。鉄道愛好家の懐古趣味を考えてばかりでは鉄道会社の経営が成り立たない、そんなことぐらい十分承知はしているが、それでも485系との別れは寂しく、そして残念に思う。大分〜佐伯間は単線であるために、交換設備のある駅では対向列車待ちの停車を強いられる。それにしても、これほど頻繁に485系同士がすれ違うものなのかと感心した。この線区が彼らの最後の砦となっているように僕には思われた。

  

 震災の影響もあり、九州の485系最後の日は実にひっそりと静かなものになった。派手なお別れのセレモニーにはならなかったようだが、それも九州の電車特急の歴史を地道に刻んだ彼らの最後にふさわしいのだと僕は思うことにした。このところ、馴染みの列車の最後を見送る機会が多くなった。これも僕が歳をとった証拠なのだろうな。485系よ、お疲れさま、そしてありがとう。

 

 今では485系に替わり、伝統ある「にちりん」の後継者としてバトンを受けた787系が頑張っている。いずれこの光景も当たり前なものになるのだろう。それにしてもこの車両、当地では着実にファンを増やしつつあるようだ。「へん、485系だって味があったし、何よりも優秀な車両だったんだ」と反駁したい気もするが、ここはぐっとこらえていよう。自分の後継者が787系であることに、ヨンパーゴはきっと満足していることだろうから。





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