国鉄前橋駅ジオラマ制作記(1)


 昭和43年から昭和49年末に故郷の九州に帰るまで、僕は群馬県前橋市で過ごしました。当時の自宅は両毛線沿線にあり、前橋駅〜駒形駅間の複線区間を行き交う電車を見ながら僕は育ちました。昭和43年といえば僕は3歳。ちょうど物心がつく年齢ですが、この頃の写真に畳の上に線路を敷いておもちゃの0系新幹線を握りしめてご満悦の表情の僕を写したものがあります。幼いのにもう難治性の鉄模(てつも)病が始まっていたようです。とてもお気の毒です。(笑)

 僕の鉄道好きの原点は前橋で過ごした日々にあります。大好きだったじいちゃんに肩車されて線路の脇で電車を待ち、電車が通過するたびに僕は大喜びしていたそうです。幼少期の僕にとってスカ色の70系、湘南色の115系と165系はあまりに身近な存在であり、電車といえば今もなおスカ色と湘南色を連想します。家族旅行でよく利用した前橋駅もまた非常に身近な存在で、駅舎と駅前の噴水を見ただけで子供心に喜びで興奮したものです。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、昭和2年に建設された旧前橋駅舎は洋風木造建築の美しい駅舎として非常に有名でした。しかし残念ながら高架化事業によって取り壊されてしまい、昭和61年10月16日(僕の誕生日だ!)から現在の高架駅での営業が始まっています。

 歳をとったせいでしょうか、最近、子どもの頃の記憶がとても懐かしく、そして愛おしく感じられるようになり、僕の鉄道趣味の原点ともいえる前橋駅をジオラマにして手元に残したいと思うようになりました。湘南色でデカ目の115系、165系、スカ色の70系(両毛線名物クハ77)、古豪電気機関車EF12、EF15と前橋駅を盛り上げる役者たちもコレクションに揃ったので、ジオラマ完成に向けて頑張りたいと思います!

 さて、まずは資料を集めなくてはイケマセン。自前のアルバムに前橋駅を写した写真がなく悔やまれます。でもネットで検索してたくさんの画像をチェックすることができたのでラッキーでした。本当に便利な世の中になったものです。昭和49年に撮影された航空写真より、赤い四角の範囲をジオラマにしようと考えました。

 正確なスケールダウンはまず不可能だと考えた(悟った)ので、ホームは8両編成の電車が留まれる長さに、そして駅舎の反対側にある貨物側線は2〜3本くらいにとどめることにしました。まずはポイントとなる駅舎。当初はですねえ、一生懸命ペーパーで自作を試みたのですよ。ところが制作途中で仕上がりが小学生の夏休みの工作レベルになりそうな状況に陥りボツに。(泣) 株式会社DDF(ディディエフ)さんに助けを求めたところ快諾してくださり、さっそく図面を送ってくださいました。もう感涙モノでした。

 駅舎が仕上がる過程も画像で確認させていただけました。とても親切で対応の素晴らしい会社です。

 

 やがて駅舎が完成です。もうですね、感動というか胸が熱くなりました。まさに少年時代の僕が見た前橋駅です。小山ゆうえんちや上野動物園へ家族旅行に出かけた際に利用し、九州に引っ越す時には子供心に「もうここに帰って来ることはないだろうな」と感じて別れを告げた駅。もう何ともいえない不思議な感覚です。

 

 

 このような立派な駅舎が完成すれば俄然ヤル気が湧きますね。いつ完成するかはわかりませんが、しっかりと地道にジオラマ制作を続けていきます。(国鉄前橋駅ジオラマ制作記(2)に続く)



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