昔の時刻表から(1) 懐かしの長距離鈍行客車

 昭和50年(1975年)、僕は生まれ故郷の北九州で鉄道趣味を楽しむ小学生でした。ヒマさえあれば日豊本線南小倉駅周辺で列車の写真を撮影し、時にはあえて客車を選んで友達と一緒に門司港駅まで乗車し、また機会があるたびに切符を集め、勉強もそこそこに国鉄の時刻表を眺める、そんな感じでした。そうそう、南小倉駅を発着する列車表示板を手作りしましたねえ。横長の菓子箱を利用して2か所、並ぶかたちに同じ大きさになるよう四角に切り抜きます。向かって左が下りで右が上り。メモ帳の一枚一枚に発車時刻と行先を書いていき、それを何とかうまく穴から表示されるように固定します。自宅の時計を見ながら発車順に一枚一枚めくっていき、一番上の紙をめくったら一番後ろに回すのですね。南小倉駅を出る日田彦山線の快速(唯一の優等列車?)には赤で目立つように「快速」と書き、四角で囲んだ記憶があります。おっと、これは余計な話です。スミマセン。さて、時刻表を見ていてうわっ、と子ども心に思った列車がありました。それは西鹿児島発門司港行の鈍行列車です。身近にこんな長距離を走る列車があるんだ、と感動しましたねえ。 

 驚きの長距離鈍行列車!

 というわけで、昭和50年に発行された日本交通公社発行の簡易時刻表を入手しましたところ、おお、ありましたありました。僕の記憶は確かでした。西鹿児島発門司港行きの鈍行列車!今ではもう夢の列車ですね。当時、もうこの列車にたまらなく乗りたくてですね、親に何度も懇願したものでした。思い出しました!宮崎への家族旅行の際に門司港発の夜行列車「日南4号」を利用しましたが、親はあえてこの鈍行列車を選んでくれて、僕は南小倉から終点の門司港まで乗車できたのでした。西鹿児島発の530列車は終点の門司港駅に21時20分に到着、西鹿児島行きの急行日南4号は門司港を22時20分発。門司港駅前で出発前の軽食をとりましたので、記憶と時刻がピッタリと合いました。南小倉駅から乗車した憧れの530列車は大変な混雑で結局、小倉駅まで客室には入れず家族4人全員がデッキに立ちました。旧型客車の薄暗い車内ではありましたが、頭上の丸い照明は暖色系でとても落ち着いた雰囲気に感じられたのはよく覚えています。

 この客車鈍行列車もスゴイ!

 他にも長距離を走る客車鈍行がないか見てみます。やはりありますね。この列車もなかなかです。通な方はすでにご存じでしょう、門司発福知山行き824列車です。門司を5時23分に発車し、終点の福知山には23時50分着。仮に現在走っていてもさすがに乗り通す気力はないな、と。そうだ、決して驚くような長距離ではないけれど、九州には寝台をつないだ鈍行客車「ながさき」があるので調べよう。

 あれ?名称がついていないな...

 鈍行客車「ながさき」を発見!しかしですね、「ながさき」という名称は見当たりません。「ながさき」は歴史のある列車だと認識していますが、名称がつくのはもっと後なのでしょうか?(気になって調べてみますと、翌年の時刻表には「ながさき」と書かれていました。)僕は一度も「ながさき」に乗車したことがなく、本当に残念です。さて、当時は「ながさき」と同じくオマケのように寝台を連結をした客車鈍行が何本かありました。山陰本線の「山陰」、紀勢本線の「南紀」、北海道の「からまつ」です。 

 山陰本線「山陰」
 紀勢本線「南紀」。串本から通過駅が多いですね。
 「からまつ」

 客車鈍行を使った夜行列車の旅、一体どんな感じだったのでしょうね。僕が経験した日南4号はピカピカの12系客車でしたが、家族4人がボックスシートで一晩過ごすにはやや窮屈さを感じたかもしれません。あの頃、夜行列車に旅情を感じるような乗客ばかりではなかったはずですが、それでも客車鈍行すべてが廃止されてしまった今、懐かしさを感じざるを得ませんですね。それはそうと、時刻表をめくりながら山陰本線の長距離客車鈍行って思いのほか多いのに気がつきました。

 長距離客車鈍行が目につく山陰本線

 昔の時刻表、ページをめくるのが楽しくて仕方ありません。興味深いダイヤを発見した時のドキドキや感動、少年時代と今の自分でまったく変わっていないのが笑えます。(^^) これはもう、しばらくハマりそうです。



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