昔の時刻表から(2) 九州の夜行寝台列車

 職場にある僕の机の棚には仕事関係の本に混じって昔の時刻表が置いてあります。ヒマな時間や頭が疲れた時などに取り出してぼやーっと眺めるのですが、いつも目に留まるのはなんといっても夜行(寝台)列車数の多さですね。サンライズ出雲・瀬戸は別として、今や寝台列車と聞くと豪華列車(クルーズトレイン)を想像してしまうくらい特別な存在になってしまいましたが、その昔は庶民の足として当たり前のように全国各地を走っていたんですよね。1974年(昭和49年)の時刻表を広げて、関門トンネルを抜けて九州にやってくる夜行寝台列車を調べてみたいと思います。まずは鹿児島本線下り編から。

 鹿児島本線下り(1)

 もうですね、国鉄ファンの僕は卒倒しそうなくらい興奮します。「かいもん」や「さんべ」、なんていう急行列車名だけみても鼻血を出して気を失いそうになるのにこの豪華さ!これが正気でいられるでしょうか。よく見ますとこのページは関西からやってくる寝台列車がメインになっていますね。それだけに前日10:00に東京を出発する客車急行「桜島」がよけいに目立ちます。往年のファンには涙目ですよね。そうだ、思ったよりはるかに小倉を通過する列車が多いことに気づきます。あかつきなんて全列車が小倉をディスってます。(笑)「月光」「あかつき」「明星」、なんと味のある美しい名前なんでしょうか。今更ながら当時のネーミングセンスに感心します。

 鹿児島本線下り(2)

 続きましてお馴染み東京発の名門ブルートレイン「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「あさかぜ」の登場です。(あさかぜ以外みんな小倉を通過!)「あさかぜ」には思い出があります。昭和49年12月、幼少期を過ごした群馬県前橋市から生まれ故郷の小倉に帰って来る際に乗車したのがこの「あさかぜ」でした。小倉駅でホームに降り立った記憶が今もなお鮮明で、ああ、これからこの地で暮らすんだな、と当時9歳の僕は不安と期待で泣きそうになったのでした。それにしても、急行のバリエーションがなんて豊かなんでしょうね。関西・山陽からの客車急行、関門トンネルをくぐる気動車急行、九州独自の電車・気動車急行など、こんな華やかな時代があったのですね。アンビリーバブル!

 日豊本線下り

 続きまして日豊本線下り編です。こちらには鹿児島本線のような賑やかさはありませんが、関西と九州を結ぶ寝台列車「彗星」が5本も!晩年の寂しさからは想像もつかない豪華な陣容ですね。そして日豊本線のスター、寝台特急「富士」西鹿児島行きです、いいですねえ〜。(この時、小倉を通過していますが、翌年の時刻表では停車になっていました。)長距離急行も見逃せません。東京発の「高千穂」、大阪・京都発の「日南」もあります。渋い! また、よくよく見ますと、急行「大隅」「青島」「えびの」もありますねえ。こりゃこの当時の日本は国鉄ファンからすれば夢の国ですよ〜。目立ちませんが特急「おおよど」も見えます。本当にすごい! それと余談なんですが、日豊本線上りの時刻表を眺めていてとても興味深い列車を発見しました。その名も急行「ひまわり1号」。

 急行「ひまわり1号」

 この列車、大分発の気動車急行なんですが、行先は別府・門司港なんですね。ん?大分から数えて3つ目の駅、別府が終点の急行?と思いきや、大分を発って10分後、終点である別府を発車してまずは小倉まで上り、そこで前方の門司港行を切り離して向きを変えて鹿児島本線へ、さらに熊本から豊肥線を経由して始発駅の大分に到着し、さらに終点の別府へ、という経路なんですね。すごいなあ。ということは大分駅には急行「ひまわり1号」が2度も客扱いしながら停車するんですね。小倉で切り離した編成は普通列車とならずに急行のままです。当時は門司駅と門司港駅の間に小森江駅がないので、2駅だけの各駅停車ですが小倉からの乗車には急行料金が必要だったのでしょうね。それと時刻表の並びにある急行かいもん2号と特急みどり1号も何気にスゴイですね。個性的な列車を探し出すのも国鉄時代の時刻表を見る楽しみの一つといえそうです。



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