国鉄日豊本線 行橋駅 修学旅行団臨

 僕は昭和51年から昭和60年までの10年間を福岡県行橋市で過ごしました。小学5年生から予備校2年生(?)までの多感な時期を過ごした街ですから、それはもう語り尽くせぬほどの思い出があります。国鉄行橋駅もよく利用していまして、僕にとって思い入れの強い場所の一つになっています。さて、現在では高架となっている行橋駅も当時は地上駅でした。駅ではさまざまな電車・気動車・客車・貨物列車が観察できましたが、修学旅行のシーズンになりますと中学生のための団体専用臨時列車が設定されていました。まずは昭和55年(1980年)5月に運転された修学旅行用団臨の写真です。

 懐かしい交流型電機 ED76 32

 2番のりばから俯瞰

 12系客車6両を従えて出発!

 駅舎のある1番のりばは通常、中津・大分方面への下り列車専用ホームなのですが、小倉方からの行橋止まりの列車がこの1番のりばに到着後、今度は行橋始発として小倉方面に折り返していました。ですが、客車を従えた電気機関車が1番のりばで上り方を向いている姿は貴重なのではないかと思います。ちなみに当時、3番のりばの向こう側(西側)には広大なヤードがあって、昭和の時代には多くの貨物列車が連なって止まっていました。写真ではとび色のワムが確認できます。続いては昭和58年(1983年)5月に運転された中学校の修学旅行団臨です。

 キハ58系が1番のりばに停車中

 キハ58系が6連で出発!

 上の写真とほぼ同じ位置から

 これらの写真もよく見てみますと、なかなか味があるものが写っております。まずは3番のりば。当時は国鉄田川線の専用発着ホームでした。写真では急行色と首都圏色の気動車が確認できますね。これは田川線のローカル列車です。それとこの当時にはすでに使われなくなっていた貨物ホーム。鉄道貨物輸送の栄枯盛衰を感じさせるこの寂れ感がなんともイイ雰囲気に感じてしまいます。(昭和と令和の写真を並べましたが背後にある山の稜線が一致します。風景は時代と共に変わりますね。)さてその後、平成時代となって駅の高架化が進んでいた時に、仕事の合間を縫っては行橋駅の姿を写真に収めておりました。

 跨線橋から旧貨物ホームを望む

 跨線橋から中津方向を望む

 1番のりばから415系を撮影

 上記の写真は平成10年(1998年)に撮影しました。高架駅はだいぶ完成に近づいていまして、この年から上り線と平成ちくほう鉄道は高架ホームから発着するようになります。(忘れもしません。高架ホームでの上り1番列車は早朝に行橋に到着・発車する787系ドリームにちりんでした。)そういえば、高架駅になってからは修学旅行団臨の撮影を僕はやめています。僕にとっての修学旅行団臨、といえば青春時代を共にした昭和の行橋駅とリンクしているのですね。



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