九州を駆けた国鉄型電機たち(その4)



ED76形(国鉄時代)

前期型(奥)と後期型(手前)
 

 ED76形は1965年(昭和40年)から1979年(昭和54年)にかけて製造された交流型電気機関車で、基本番台(0番台)が94両、1000番台が23両の合計117が登場しました。なお、後者は20系客車や10000系貨物列車などの高速列車牽引用で、電磁ブレーキ装置が取り付けられています。ED76形はその仕様によっていくつかの分類がありますが、大きくみると真空しゃ断機を室内配置としたグループを後期仕様(基本番台55〜94号機、1000番台1011〜1023号機)、それ以前のものを前期仕様(基本番台1〜54号機、1000番台1001〜1023号機)としているようです。しかし、前期仕様にも中間台車にブレーキ装置がないもの(1〜8号機)、パンタグラフが大型(PS100)の1〜30号機、空気上昇式の下枠交差型(PS102C)の31〜54号機があったりとさまざまです。

 

0番台 94号機
 

 

1000番台 1021号機
 

 ED76形電気機関車は九州ではハマリ役となり、各地で客車や貨物の牽引仕業に活躍しました。1975年(昭和50年)、9歳で群馬県から生まれ故郷の北九州に帰った僕にとって、ED76は日常当たり前に目にすることができた電機ですが、子ども心にカッコイイなと感じたのは何といっても長編成のブルートレインを牽引する姿でした。1984年(昭和59年)、全国的なブルトレブームの影響でしょうか、九州の電気機関車にヘッドマークが復活。当時小倉の予備校に通っていた僕は寝台特急に遭遇する度、その姿に鼻血が出そうなくらい興奮してました。(笑) 今や伝説となった感のある「富士」の円形ヘッドマーク、電機に掲げられたのは約1年の期間限定でしたが、今でも記憶に鮮明です。調べてみますと、昭和59年2月改正から昭和60年3月改正までの使用だったみたいです。

 

ED76形(分割民営化(JR化)後)

 さて、時は移り日本国有鉄道は分割民営化され、各地でJRグループが誕生します。悲しいことにED76形は民営化前に約半数が廃車となり、JR九州には基本番台が36両(42号機、60〜94号機)、JR貨物には基本番台が7両(37号機、43号機、55〜59号機)、1000番台が18両(1006〜1023号機)継承されました。車体側面にはJRマークが付けられ、貨物機にはブルーを基調とした試験塗装が施されたこともあります。

 

JR貨物所属 0番台 37号機
 

 

JR貨物所属 0番台 56号機
 

 

JR貨物所属 1000番台 1012号機
 

 

JR九州所属 0番台
 

JR九州所属 0番台
 

 この頃の興味深い出来事といえば、JR貨物所属のED76がブルートレイン牽引仕業についたことでしょうか。JR化の直後、長崎からの「みかん臨時貨物(みかん臨)」が設定されると運用の都合からJR九州の電機が用いられたそうです。その運用の穴を埋める形で、JR貨物のED76が下りの「あかつき」と上りの「さくら」に充当されました。

 

 また、ジョイフルトレイン「サザンクロス」牽引用に塗色変更を受けた78号機も注目されていました。ED76は通常、走行時には後ろのパンタグラフを上げます。サザンクロスの客車には前面に大きなガラスがありまして、電機のパンタから飛び散るアークでガラスが汚れる事態が起こり、以後は前のパンタグラフを上げて走るようになりました。また、この塗装のままブルートレインの牽引をすることもあり、ファンの注目を集めました。

 

JR九州所属 0番台 78号機
 

 

 

 2005年(平成17年)にはJR九州に基本番台9両、JR貨物に基本番台8両と1000番台16両が残っていましたが、JR九州所属車は2012年(平成24年)に全廃となりました。2023年(令和5年)現在では、JR貨物に基本番台2両(81号機、83号機、共に元JR九州所属車)、1000番台が8両(1015〜1022号機)を残すのみとなり、いよいよ風前の灯火という感は否めません。実車の記録は今のうちですね。

 

 

 

 赤い電機にブルーの客車。僕が憧れた寝台列車ブルートレインの姿はすでに過去のものになってしまいました。その存在の証ともいえるED76もやがて消えようとしているのですね。とても寂しいですが、模型の世界ではED76はバリバリの現役です。当鉄道会社では日々、旧型客車から高速貨物まで牽引仕業に勤しんでおりますが、管理人の好みでブルートレインの牽引仕業ばかりに充当されております。

 

 

 

 

九州を駆けた国鉄型電機たち(その5)





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